永久凍土

我々は祈りを失った群衆である。私が、そうなのである。溢れる文字の羅列は救いなど与えない。世界を覆う光の網に、思想を語るのだ。大地を濡らした赤い雨は過去のものであり、幻想だ。思慮と無思慮が氾濫し、現実という形は失われて往く。
 銃剣も弾丸も力を失いつつある。現実が失われて、現実と対をなす理想は意味を持たなくなる。現実から目を背けていても、幻想だけ見ていれば苦痛を感じることも無い。試練も災難も、既に非現実だからだ。だんだんと、自分の見ているものが現実なのか非現実なのか分からなくなる。生きる為に人を愛することも知恵を絞ることも否定される。異端者は必要ともされなくなる。笑うことも、泣くこともままならない。

「カノクラ、疲れてしまった。僕の心臓を持って行ってくれ。お願いだ。」
 ヨコタはそういって、彼の心臓たる原子炉を僕に差し出していた。
「ヨコタ、それはいけない。いいから戻せ。手遅れになる。」
 僕らのメイン処理回路は電源を失って一定の時間を経過すると、不可逆的な機能の喪失に至る。猶予はほんの数十秒しかないはずであった。
「カノクラ。そんなことを言ってるんじゃない、受け取れ。僕の達っての願いだ。」彼は哀願していた。なぜそんなに必死になるのだ。
「ヨコタ、僕にはそんなことはできない。やめてくれ。」
 しかし彼は既に機能喪失していた。返答が無かった。彼の掌から転がり落ちた心臓を、拾い上げる。本来ならば、自らを構成する筐体から原子炉を直接取り出すなどできやしない。しかし僕らは幾世代にも渡って、過去に僕らに支給された筐体を使いまわしてきた。見たまえ、このみすぼらしい彼の筐体を。内部の機構や配線がところどころむき出しになっている。このエウロパの絶対冷下で、今日まで活動を継続できていたのが驚きだ。ヨコタはいい奴だった。僕よりもずっといい奴だった。
 僕は位置座標を確認し、凍土に路を続ける。いつものことながら、やや動作に不具合のある右下肢が気になった。

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